ガラ
織女
Jul. 7, 2005 |
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2005年7月7日 木曜日
春くんが今夜、天に召された。実を言えば、今日がその「とき」だろうと私は思っていた。
昨夜、眠っていた時、またあの鈴の音を聞いたのだ。夢か現かわからないまま、「あの音は何?」と声に出して隣に寝ているこうちゃんに聞きたかった。なかなか言葉が出せないでもどかしい。
やっと力を振り絞って声に出すと、私の傍らに寝ていたはずの猫がベッドから下りて走り去った。それはベッドから下りた途端に2つの猫に分離して、1匹はミュウたちの遺骨や遺影が置いてある棚へと走り込んだ。ああ、ミュウだったのか・・・と夢の中で感じている。
「だけどミュウはもう生きていないんだ」直ぐにそう気づく。悲しい。
もう1匹は私の枕元の方角にある部屋へ走り去り、ドアの向こうに行ってしまったような気がした。ハッとして目覚めた時、春くんがお別れに来てくれたんだと思った。
もちろん根拠なんかない。昨夜、眠りに就くまさにその時、春くんの事を考えていたのも事実だ。横を向いて寝ていると、高くも無い鼻梁を越えて、涙がもう片方の目に流れ込んだ。久し振りで何もしたくなくて、そのまま寝た。
このところ毎日、春くんの事ばかり考えていた。春くんにジーコの面影が重なり、一層不憫だった。
幸せな幸せな春
※写真は、メルロさんのブログから拝借しました |
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食べ物も水も受け付けなくなって、今日で10日も経っただろうか。春くんのお母さんになってくれたメルロさんは春くんの不調に気づいて以来、それはもう可能な限りの努力を続けて下さっていた。獣医さんだけでなく、私や野村さんのアドバイスも全て受け入れて、外出も殆どせずにつききりで頑張って下さった。
「ほかに何かしてやれる事はありますでしょうか?」そう聞かれた時、もはや考えられる全てをしてくれていただけに、「ずっと話し掛けてあげて下さい。たくさん撫でてあげて下さい」としか言えず、そしてこの時初めて思った。ここまで努力した人こそが、初めて「祈り」を捧げるのだと。
野村さんも私もメルロさんの気持ちを思い、そして保護されるまでの春くんの日々を思い起こし、メルロさんには内緒で泣いていた。「そのとき」が間もなく訪れる事は解かっていた。だけど奇跡が起きてくれる事も祈らずにはいられなかった。密かに祈った。
祈りというものは、厳粛なものだ。そこには厳しい姿勢が要求されると思う。軽々しく言ってはいけない。水ごりをしてからお百度を踏めとまでは言わないけれど、少なくとも片手間に祈れるようなものではないと思うのだが如何だろう。
祈りが少しでも通じるよう、どれだけの犠牲を払いますか?
それは神仏が要求する犠牲ではないのだと思うが、祈って求めるだけでは駄目だろう。そんな甘えを全て聞き入れるほど、神様はお人好しじゃないと思う。
そこには人身御供とまでは行かないとしても、ある種の犠牲を捧げる位の覚悟を以って祈るものではないのか。簡単には祈れない。よほど心して祈るべきだ。私はそう思う。
メルロさんはブログでもメールでも決して泣き言を言わなかったが、どれだけ不安で、どれだけ苦しくて、どれだけ悲しかった事か。一人で涙する時もあっただろうと思う。
回復の見込みの無い子を介護する苦しさと哀しみは、本当に痛いほど良く解かる。どれだけ前向きに考えようとしても、出来る事ならば現実から逃げ出したい位、正直なところ先に死んでしまいたいと願う程に苦しいのだ。
でもメルロさんは決してそんな気持ちを外に垂れ流す事なく、大人として抑制の効いた態度を見せてくれていた。そして最期まで春くんの回復と幸せを信じ、求め与え続けてくれた。その姿勢は、崇高なまでに立派だった。
最初に彼女を知った時には、表現力の豊かな、そして心に対して丁寧でデリケートな方だと思った。これほど自分を律し、気高く、他人に余計な気持ちの負担をさせない強い人だなんて、その時はまだ知らなかった。きっと春くんの苦しみを吸い上げながら、彼女の心は日に日に大きく成長したのだろう。
メルロさんのブログのアドレスを見て、今更気づいた。「seaspring」とある。先住猫の「海里」くんの「海」と「春」だったんだ。幸せだね、春くん。やっと幸せになれたからこそ、今までの辛い日々の緊張を解いて、安心して逝けたんだよね。
今日はメルロさんの誕生日だったのだ。それに合わせるかのようにして、今日まで持ち堪えた春くん。ちゃんとお母さんの事が解かっていたんだろうね。お父さんも傍にいられる日を選んだ春くん、親孝行だったね。
「FIPが恐くて猫が飼えるか!」と私が彼女のブログのコメントに書いた時、
「FIPが恐くて猫が飼えるか?!」
見た途端主人が叫んでました。
みんな可愛い。
みんな頑張ろう〜。
そうコメントを返してくれたメルロさんだった。
エイズが恐くて猫が飼えるか?!FIPが恐くて猫が飼えるか?!
誰にでも、何度でも言う。だって本当にそうなんだもの。何一つ問題の無い子などいない。人間だった同じだ。自分(の猫)だけはウィルスや細菌とも無縁でいたい、無縁でいられるなんて思ったら大間違いだし、品性が劣る。
幾度でも思い出す。春くんが元の保護主宅の庭に来ては、悲しそうな顔で家猫たちを1時間でも眺めては、諦めたようにまた寒い中をどこへ行くのか、とぼとぼと戻って行った日々の事を。
私は「ちょっと困ったような顔」と表現してみた。だけど本当は、「幸薄い感じの表情」と感じていたのだ。それだけに、どうしても幸せなご縁を探してやりたかった。当時の「猫雑記」には、こんなバナー(左画像)を作って置いていたっけ。
メルロさんのお宅に貰われて直ぐに、先住の海里さんもお母さんの事も大好きになり、自分から歩み寄って行った。そんな健気さを、メルロさんはきちんと理解してくれていた。
春くん自身が幸せになれたと感じたからこそ、しっかりと満たされて旅立ったと確かに思う。
野村さんと電話で話し、一緒にひとしきり泣いた。募集主だった野村さんは「ハルは・・・」と言っていた。私より野村さん、そしてメルロさんが一番辛いのだ。二人のお母さんの気持ちを考えたら、私なんか泣く資格も無い。
さよなら、春くん。いつかまた会おう。ミュウがお迎えに行ったんだろうと思うから、安心して付いて行きなさい。
そこはいつも「春」だよね?お母さんも、春の陽射しのような人だものね。おやすみなさい。密かに応援し続けて下さっていた皆さん、有り難うございました。皆さんも今という「とき」を、愛するものとご自分の為に、更に更に大切に過ごして下さい。
今この「とき」も、必死で闘っている子たちと飼い主がいる。ご相談にあずかった日の深夜に力尽きたという報告があったりして、どこにも捨て場の無い想いを抱え込む。でもそれで良い。私がゴミ捨て場になれば良い。
闘っている人たちの為に、まだ祈らないけれど、出来る協力はしたい。気持ちが挫けそうな時もあるだろうと思うけれど、思い出して欲しい。みんな闘っているんだという事を。苦しいのは一人だけじゃない。
慰めや励ましは、そのお気持ちは嬉しいけれど、苦しみや悲しみを軽減する力までは無い。闘いそのものは一人でするしかないのだ。苦しみも悲しみも、一人で乗り越えるしかないのだ。たとえ愛する家族が傍に居ても。
七夕だけど、ガラは牽牛に出会えたかな?うちのパパはジャムとマルコの耳を隠しては「可愛いんだよ、これが」と喜んでいる。今年からは、それにガラも加わった。どうやら目の大きい子が、こうすると似合うらしい。
お次はマルコの写真も撮ってお見せしなくちゃね。
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ガラ
パパに遊ばれる
Jul. 7, 2005 |
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ジャム
パパはイタズラ
Jul. 7, 2005 |
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