《CAT'S EYES & CAT'S HANDS》猫雑記
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ゴマ

何だろう?

May. 10, 2007
ゴマ

2007年5月10日 木曜日


昨日とはうって変わって涼しい。こんな日には、PCの過熱を心配せずにガンガン働かせてやろう。いや、働くのは私か。

午後からは雷雲が出て空模様が荒れるという予報だったので覚悟して出掛けたのだが、幸い、天気が崩れ始めたのは夜になってからだった。

長野では雹(ひょう)だったというのでもしや群馬でも・・・と思ったら、夜に母と電話で話したところ案の定、雹が降ったと言っていた。



不謹慎だけれど、懐かしいな、雹なんて。

子供の頃、母が、梅の実が生る頃にはよく雹が降って、折角大きくなってきた実が傷ついたり落ちてしまうのだと言っていた。



母は毎年、梅干しを漬けていた。

庭には梅の木が1本だけあり、たくさん実を付けた。それだけでは母の道楽でもあった梅干し作りには足りず、紀州の南高梅を八百屋で買っていたのだが、それでも実の生る木が庭にあるのは楽しかった。

子供心には、熟しても甘くならない梅よりも、すももやサクランボが生る木が良いと思っていた。



実家の庭の梅の木が、実は梅ではなくて梅と杏の掛け合わせだったと知ったのは、何年にも渡って収穫し続けてからの事だ。

確か私が既に親元を離れ、東京で大学生だった頃、その事実が専門家によって発覚したらしい。

妹がその木を「うんず(うめ+あんず)」と名付けた。

あの「うんず」は、その後どうなっているのだろう。ちっとも故郷へ帰らないから、町の変化はおろか実家の庭の変化すら知らない。






最近、矢鱈と子供時代を過ごした古い町が懐かしい。

今ではすっかり面変わりしてしまっているだろうから、懐かしいのは専らその町以外を知らなかった子供時代・・・昭和30年代の町の様子だ。



当時の実家は、駅前の商店街の表通りに面した所にあった。間口の狭い、奥行きの長い、つまり鰻の寝床のような家だった。

向かいは映画館、その隣には食堂、反対側の隣は飲み屋、その隣は煙草や生活雑貨を売っていた古い帳場のある大きな店(お祖父ちゃんの煙草しか買いに行った事が無いけれど)、その隣には桶屋。

うちの左隣のご主人は、少し前まで人力車を引く「車夫」だったらしい。

その隣には寿司屋、うどん屋。右隣はうちと同じく普通の家だったけれど、その向こうは八百屋兼食品店、更に向こうは牛乳屋、その向こうは食堂、そして道を隔てて駅がある。





うちから駅までは、ゆっくり歩いても1分と掛からなかった。

とても便利な場所だけれど、国鉄の汽車(当時はまだ「汽車」と言っていた)は1時間に1本くらいしか走っていなかったし、バスだって同じようなものだったと思う。



バスは家の前の道を駅前の広場をターミナルとして戻り、家の前でついていた毬が手から逸れると、どういう訳かちょうど通りかかったバスに轢かれてしまって(惹かれるのは毬だけど)、幾つも破裂させてしまった光景を思い出す。

毬付きが下手だったのも確かだろうし、歩道も無い道路で毬付きをするなんて今から考えたら危険なのだけれど、駅前商店街の家の殆どは庭というものがなかったので、家の玄関の前の道路で毬をつくと、ドブ板がデコボコしていて不安定な地面ではイレギュラーバウンドするのだ。

「あっ」と思った直後には、決まってバスがやって来て「バーン!」・・・悲しかったなあ・・・

一般家庭で自家用車を持つ家はまだ少なかったので、交通量は大した事は無い。どうして毬をつき損ねた時に限って、いつもいつもタイミング悪くバスがやって来たのだろう。

多分、記憶の中で「いつも」という風に変化しただけなのだろうが・・・。





家の前に路上駐車(路上駐車などという言葉すらなかったと思う)していた父親の車(通勤用だ)は、時々近所のガキ大将たちに悪戯されてカーラジオのアンテナを折られたり、酷い時にはタイヤに釘を刺されてバンクしたりした。

やがてもう少し郊外に、庭付きの家を建てて越してからは悪戯される事はなくなったけれど、夜中に帰って来た父親が、高崎の会社からの帰りの田舎道で運転席側のドアにイノシシが体当たりしてドアが凹み、開かなくなってしまったので、助手席側のドアから降りて来た事があった。

そういう昔の田舎の話という訳だ。





駅前の通りの古い家に住んでいたのは小学校を卒業するまでだった。

うちの脇には狭い舗装していない路地(人と自転車くらいしか通れない)があり、路地は路地に繋がっており、殆ど裏道から登下校出来た。

当時既に町には水道が引かれていたけれど、路地裏の所々には井戸があり、まだ使われている井戸もたくさんあった。

井戸水は夏に冷たくて、冬には温かい(ように感じる)のだと、お祖母ちゃんは言っていた。

勿論、上水道の水よりも美味しかった。時々水質検査はしていたようだが、今のような物騒な世の中ではなかったから、平気で井戸水を引いた蛇口から出る水をそのまま飲んでいた。



トイレは汲み取り、氷を入れる木製の冷蔵庫というものも知っている。

但し、父親が家電メーカー勤務だったので、物心ついた時にはうちには電気冷蔵庫もテレビもあったし、温蔵庫(殆ど使い道がなかった)やサーキュレーター(これもほぼ無用であった)なんてものまであった。

道具好きの無駄遣いは、父親の血らしい。



氷を入れる冷蔵庫があった家は「猫んちの婆(ばあ)」と呼んでいたお婆さんの独り暮らしの家で、その名の通り猫を飼って居た。

でも私は子供の頃、猫に興味が無かったので、どんな猫だったかも覚えていない。それどころか、我が家にも私の幼児期には猫が居たらしいのだが、その記憶も殆ど無い。



表通りから1本裏の路地裏に並んだ何軒かの個人住宅は、いずれもこじんまりとした平屋で、木塀があったり無かったり・・・ああいう木造住宅に住みたいと今は思うけれど、当時は2階建てに憧れていた。

なので、父親が鉄骨造のコンクリートの家を新築した時には、2階に子供部屋や広いベランダがあって嬉しかったけれど、母親はずっと木造の平屋が良いと言っていた。

あの時の母親の気持ちが、今は良く解かる。1階で洗濯をし、2階まで運んで干すのはしんどいし、2階で何かしていて誰かが訪ねて来たら、急いで階段を下りて行かなければならない。

歳をとればとったで、階段の上り下りがきつい。



今、洗濯は2階で出来るし干すのも2階だが、風呂は1階にしかないし、玄関も1階にしかない。ここが平屋で今の部屋数があったら、どんなにか楽だろう。

入浴だって、シャワーだけじゃなくて毎日湯船に湯を張って入っちゃうよ。

ゴマ

あれっ?

May. 10, 2007
ゴマ
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う〜ん

May. 10, 2007
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緊張の余りペロリ

May. 10, 2007
ゴマ
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あ〜疲れた

May. 10, 2007
ゴマ
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全部見られてた?

May. 10, 2007
ゴマ

朝、少しぼーっとしていたカワムラさんだが、それなりに缶詰もドライも食べた。

少しずつ、一日に何回にも分けて食べさせている。その方が一気にアンモニア値が高くならなくて負担が少ないらしい。一気にたくさん食べさせると胃にも負担が掛かるのか、吐く事も多い。

一度には少量、そして胃が空っぽにならないようなインターバルで与える方が腎不全の老猫には負担が少ない事は、アインとジーコの介護で知っているし、今まだフードが食べられるカワムラさんにとっては、その都度新しいフードを自分の為に開けてくれる事も格別に嬉しいのではないかと思えるのだ。



今日も10回くらいのお食餌タイムを持った。

毎回、ほんの少しずつご相伴に預かるイオとペリー、そしてルスとトム、たまにテト。食べられる幸せを、みんなで共有しているみたいだ。勿論、私達も、それを見ていて何とも言えない幸せを感じている。


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